リフクラ
みんなで週末リフレクション

靴ひもを結ぶ時間

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山小屋のガイドには出発前の癖があった。客の靴ひもを必ず見る。ゆるいと転ぶ。きついと足がしびれる。長年そうしてきた。

ある朝、去年も案内した客が靴を履いていた。ひもはひどくきつく結ばれ、足の甲が赤くなっていた。「痺れませんか」と聞くと、客は「崩れないほうがいいので」と笑った。

出発の時間は決まっている。日が暮れる前に下りなければ危ない。ガイドは時計を見た。あと五分で出る予定だった。それでも屈んで、結び直すことにした。

「今年は何かありましたか」 聞くと、客はぽつぽつ話し始めた。長く育てた人が辞めたこと、やっと決まった話、ちょっとしたことで怒ってしまった話。ガイドは相槌を打ちながら、頭の中では時間を数えていた。あと三十分で稜線に出ないと、天気が崩れる。

山頂に着いたころ、日は傾いていた。客は靴を脱いでため息をついた。「今日は歩きやすかった。ひも、ゆるんでる」 ガイドは笑って「結び直したので」と答えた。

客は言った。「毎年、あなたが屈んで紐を結んでる時だけ、私の話をちゃんと聞いてもらえてる気がするんです」

ガイドは何も言えなかった。安全のためだと思っていた。時間を削って、仕方なくやっていることだと思っていた。

帰り道、客の足元を見ると、結び目は少しゆるみ、足はよく動いていた。

物語からの問い

私は役目のつもりの行動が、誰かと向き合う時間だったと気づけているだろうか?

私は時間を計算しながら、目の前の人の話を聞いているだろうか?

私は明日、屈んで手を止める五分を作れるだろうか?

エピローグ

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季節が一つ過ぎて、山小屋の前には落ち葉が積もっていた。

ある朝、子連れの客が来た。母親は靴を履く前に、スマホをザックの底に押し込んだ。「山ではしまうことにしたので」と少し照れて言った。子どもが「ママ、見て」と石を拾って見せると、母親はちゃんとしゃがんで見た。ガイドはその横で、子どもの靴ひもを結び直しながら、ふたりのやりとりを聞くともなしに聞いていた。頂上に着くころには、母親のポケットの中でスマホが何度か震えていたが、誰も取り出さなかった。

小屋の裏では、送別の支度が進んでいた。長く働いていた若いスタッフが、来月で辞める。ガイドは古い鍋を出してきて、みんなでつつく最後の夜の準備をした。「引き止めても仕方ないと思ってた」とガイドは誰にともなく言った。「でも、ちゃんと見送ることはできる」。若いスタッフは笑って、「その言い方、なんか靴ひもみたいですね」と言った。ガイドは意味がよく分からなかったが、悪い気はしなかった。

見習いのひとりが、また寝坊して朝の集合に遅れてきた。前の晩、遅くまで起きていたらしい。ガイドは特に怒らず、ただ「次からは早く寝るといいよ。山は寝不足だと危ない」とだけ言った。見習いは頭をかいて、「今度は二時までには寝ます」と約束した。次の日も、その次の日も、少しずつ集合時間には間に合うようになった。完璧ではなかったけれど。

大きな契約をまとめたという客が、お礼にと菓子折りを持ってきた。「来月も頑張りますよ」と客は元気に言い、去年と同じ靴、同じ結び方で山を登っていった。ひもはやっぱりきつく、途中で足の甲が赤くなっていた。ガイドは声をかけようか迷ったが、客はもう先に進んでいて、結局そのままになった。まだ何も変わっていない足元が、そこにはあった。

帰り道、客の足元を見ると、結び目は少しゆるみ、足はよく動いていた。